ゼミ生が語る的射場ゼミ(卒業生)

ONE FOR ALL, ALL FOR ONE
一人はみんなのために みんなは一人のために

人を思いやるということは、人生において非常に大きな比重を占めている。人は生涯を通じ常に自分以外の人間と関わり、様々な形で支えられているからだ。そういった人々に対し感謝の気持ちを持てない者は、いずれ日々の生活を営むことすら困難になるだろう。人生においてもっとも大切なことに気付かせてくれた場所、それが的射場ゼミである。

的射場ゼミに入り、初めて体験することになった論文作成は、非常に苦しいものであった。自らの突き詰めたいテーマを文章を通して人に伝えることの難しさや、自分の力の無さを痛感し、何度も挫折しそうになった。しかし、論文作成がうまくいかず落ち込んでいると、ゼミ生のみんなが明るく励ましてくれ、前向きな気持ちにさせてくれた。皆が支えてくれたからこそ、論文を書き上げることができたのだと思う。

論文が仕上がったことで解放されると思っていたのも束の間、さらなる困難が待ち受けていた。PENSÉEの編集作業である。ゼミが始まった当初は気にも留めなかったこの言葉が、10月には最も聞きたくない言葉になった。最初は何をするのかもよくわからず、簡単に作れるだろうと思い込んでいた。だが、仕事が進んでいくにつれ神経はすり減り、膨大な仕事の量と多大なプレッシャーからストレス性の不眠症になってしまった。体力的にも精神的にも追い込まれ、苦しい毎日を過ごしたが、全員が一丸となって協力してくれたおかげで無事に完成することができた。

論文もPENSÉEも、協力してくれた仲間がいなければ完成することはできなかったであろう。時には優しく、時には厳しい言葉でお互いを叱咤し励ましあう中で、相手を思いやることの大切さを知った。ゼミ生17名全員が欠けることなく、一人一人が互いを助け合いながら立ちはだかる苦難を乗り越えたことは、今後の人生において大きな自信となるだろう。

人生とは長い旅であると同時に、自らを成長させていくものである。時には辛い時や苦しむこともあるだろう。そんな時、支えてくれるのが仲間なのである。どんなに苦しい状況に直面しても、自分を理解し、支えてくれる仲間がいれば必ず乗り越えられる。的射場ゼミに参加することによって、人生を生き抜くうえで人として最も大切なことを学ぶことができた。日頃から自分を支えてくれている全ての人々に感謝の気持ちを抱き、これからの人生を歩んでいこうと思う。

(荒木英昌(PENSÉE VOL.17編集後記より抜粋))

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「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」(マタイ伝福音書)

国士舘大学のなかでも、選りすぐりの個性派が集まっている的射場ゼミでは、あえて共通のテーマを設定せず、各ゼミ生がこだわりと関心をもつテーマを自由に研究しています。そのテーマは毎年非常に個性豊かで、政治・経済・人物・歴史など多岐にわたります。ゼミ生は毎年度末には、I部・II部合同で制作する『PENSÉE(パンセ)』という論文集に論文を発表することを目標に、1年間かけて論文を仕上げていきます。研究報告はひとり年とそれに4回。ゼミは各自の研究報告対する質疑応答や討論を中心に行なわれます。

我がゼミでは「いろんな人と、いろんな話をすること」を大事にしています。数々の飲み会や合宿などを通じて生まれる友情は、決してお金では買えません。お互いに切磋琢磨し、自分を磨いていく場所、それが的射場ゼミです。

(渡部 樹里 1995年)

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その昔、サマセット・モームが「どんな髭剃りにも哲学がある」という言葉を残した。要するにどんな些細なことでも毎日続けていれば、そこにおのずから哲学は生まれるという趣向の言葉である。

では論文にも哲学があるかというと、これは間違いなくある。もちろん世の中には素晴らしい論文とひどい論文があると思うけど、素晴らしい論文には確実に哲学がある。一体、自分は何を主張したいのか。何を問題としたいのか。この意識に客観性を与えることができた時にその論文には哲学が生まれるような気がする。

僕たちの論文が産声を上げたとき、その瞬間の論文はかなりひどい。まるで、主観の塊である。報告を聞いている人間にしてみれば、あれはもう災厄と言う以外の何ものでもない。 しかし、僕たちは災難と思われようが迷惑だと感じられようが、その論文に客観性を与えるべく幾度も幾度も書き直す。そしてその度に報告する。僕はここまでしか書けないと諦めない。この先にあるはずだと信じる。勿論、その先にあるものは哲学である。

一年を通して一本の論文を書くのではない。一本の論文を完成させることこそが、的射場ゼミの目標である。論文を完成させた時、この論文に哲学があると感じた時、僕たちは人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつを手に入れることができる。

(高橋 寛昌 1994年)

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遊びとバイトと、ぼんやりと雑誌やTVに時間を使う学生生活の中、1週間に1時間だけ、「自分探しの旅」が与えられる―。

私たちは高校を卒業するまで「与えられる勉強」をしてきた。自分の意見を述べ、議論できる人間に変わりたいけれど、それにはまず、「自分の意見」とやらを知らねばならない。あなたはどう思う?とせっかく聞いてくれる人がいても、うまく言えなくてミジメになることが多いから。某嬢曰く、「ワタシ、的射場ゼミで討論してしゃべってるうちに、自分がどんな考え方してるかわかってきた。ウレシイ!

ゼミの活動は、学生の研究報告と討論でなっている。テーマは歴史上の人物となってはいるが、その人が興味を持ってさえいればなんでもいい。―自分の意見を一生懸命述べたり、人の正反対な意見を聞いて目からウロコが落ちたり。黙っている人には優しい声が飛ぶ。「あなたはどう思う?」あわてて考えポツリポツリ話すうちに、頭の中がまとまってくる。そのうち、聞かれなくても討論の輪に入れるようになる。主張する技術を身につけたのだ!?

夏が終わる頃には、背すじが伸びて、キリッとしている自分に気付いて、にやりと片頬で笑うことになるでしょう。

(前嶋真理子 1993年)